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「すみません」と「ごめんなさい」と「申し訳ありません」について考えた。

三種の謝罪言葉

小さい頃は悪いことをしたらごめんなさいと言うんだよ、としつけられた。いつだか忘れたけど、本当に悪いことをしたときはすみませんって言いなさい、と習った。さらに本当に本当に悪いことをしたときは申し訳ありませんと言いなさい、と習った。悪いことしたって言うのに程度の大きさで言葉を変えないといけないというのは、なんだかなあという気持ちでいっぱいになる。今のわたしのイメージでは、ごめんなさいは子どもが使ったり、軽い謝り(友達同士で使う)の時に使用するみたいな認識になっている。結局わたしもそういう認識になっていて、きっとわたしと同様な認識をする大人たちが子どもに「ごめんなさい」「すみません」「申し訳ありません」の使い方を教えるんだと思う。実にスマートじゃない。全部統一して欲しい。謝罪具合が言葉の選択で判断されている気がする。もちろん全部がそうじゃないけど、一部でもそういう認識をされてしまうのは悲しい。日本語のこういうところがすきじゃないよね。って話。

ところで東京に来て1週間経つわけだけど

たぶんわたしが道を歩いていて一番使う言葉は「すみません」な気がする。謝罪の言葉を街中に振りまいて歩いてる気分。例えば混んでいる時にぶつかったときとか、PASMOをかざすときにスムーズにいかなかったときとか、エレベーターで人が乗っていた時とか、そういうときにすみませんって言う。その時のすみませんのボリュームってあまり大きすぎてもあれだしと思うと、聞こえるのかわからないような声で言ってしまう。なんで言ってるんだろう。あとは不特定多数に言うすみませんも多い。電車が混んでいて降りる駅に着いた時とか「すみません。降ります」って言って通してもらう。

けど、すみませんの内半分ぐらいは本当はありがとうございますなんだと思う。わたしはすみませんって言葉よりもありがとうございますの方がいいたいわけなんだけども、すみませんって言葉の汎用性に頼ってしまう。汎用性というか、今の場合すみませんっていう事例のほうが多いからすみませんって言ってしまう。別に、すみませんって言葉が好きなわけなじゃないのにね。なんだか悲しい。

今出ているすみませんって言葉のうち、すみませんじゃなくてありがとうございますの言葉のほうが適している場面をすべてありがとうございますに変更できたら、ほんの少しだけ世の中は面白くなる気がする。